メイクアップアーティストへの道 VoL.6
さあ私、山口 啓のロサンゼルス生活はスタートしました。
私が主にLAの有名サロンJ.A.D.S.Sでやっていたことは、まずサロンワークでも客様へのメイクアップ。
そして師匠セルジオのドラマや映画、ファッション雑誌等のメイクのお仕事です。
少しでも時間ができれば、セルジオは僕が暇にならないよう、撮影用のメイクアップや傷メイク、老け顔メイクなど、惜しみなくテクニックを披露してくれました。
とにかく全てが面白い!
どんどんスポンジのように頭に吸収されていきました😊
当時の私はもちろん無給。
だけど、ゲイのヘアスタイリストREN(チャイニーズ系)のアーティストが全身ベルサーチ😂がよく面倒見てくれました。
彼は自分のセレブなお客様に片っ端から連絡してくれて、「日本からメイクアップボーイが着てるからメイクをしに来てって!!」
毎日10人くらいのお客様を呼んでくれるわけです👍
だから暇な時間なんてありませんでした!
お客様は気に入ってくれたらチップをくれる。(当時1ドル150円)
そんな時に多い人だと100ドル札
をくれました。
多い日で300ドルくらいになる事も. . .
たくさん頂いた日は、夜にリトルトーキョーのカラオケ屋とかに行ってたくさん食べて、たくさん歌いました。
そうするとまた色んな人に紹介してもらって. . . 「お前歌上手いなって」😅
それで益々お客さまが来てくれるようになりました。
ダンサーのお客様は自分が出演する番組の前にメイクアップに来てくれて、夕方にはそのままテレビでそのダンサーさんがダンスを教える番組に出演している風景が見えるのでまた勉強になる!!
そしてその合間に、多くのドラマ撮影や、雑誌の撮影まで、たくさん女優さんにもメイクさせてもらったり、もちろん24時間ぶっ続けのドラマ撮影では撮影助手のようなことも. . .
30年以上経った今でも、昨日の事のようにその時のことが、脳裏に鮮明に焼き付いてます。
LAでは町中が撮影のロケ地みたいで、面白いことばかりでした!!
とにかく日本では味わえない貴重な体験を沢山経験できました!
サロンワークの後は晩御飯を食べたいのですが、その当時夜遅くはお店が閉まっていて😭
でも近所にあるイタリアンのシェフが優しい人で、日本から来た僕にロティサリーチキンやラザニア、余ったパスタなんかを袋に入れて分けてくれてました😭
色んな人から支えられて、貴重な体験をいっぱいさせて貰いました。
当時日本でも私は大手の外資系メーカーとの契約も頂いていたので、一回の滞在期間は短く、その代わりLAにはその後も16回も行っています。
その後はビースタッフの生徒も50〜70名を連れて海外研修も10年くらい連れて行ってました。
でも思い返せば、最初のLAでの勉強中に学んだ撮影用メイク。(フォトシュートメイク)は後に
日本で商品開発させていただく時の基礎となるアイデアと理論とをバッチリと頭に入れてくれたのです!
今やその商品は、25年以上のロングセラーになり、現在ARIMINOからアンリサンクコントロールパレットとして20年以上売れ続けるプロ御用達商品になっています。
日本人の平たい顔を中高く見せ、小顔に見せる商品は、私にとっても多くのアーティストにとっても絶対不可欠な商品に成長しました。
私の作品は100%その商品が使われています。
そして多くのアーティストとのコラボレート作品でもその商品は活躍して、JHAの賞なども総なめ出来た
フォトシューティングには必須のアイテムになりました!