メイクアップアーティストへの道 Vol.7
お久しぶりのコラムです。(この章では新しい人生を変えた出会いがスタートします。)
私、山口 啓、22歳の頃です。
ロサンゼルスでの沢山の経験は私の心を日本サイズからアメリカンサイズにしてくれた大きな経験でもあります👍
日本に帰って来ても、先ずはスタッフ全員に私が学んだ新しい技術を共有する事でした。
みんな必死に食らいついてくれました。
当時SNSもインターネットも普及していない時代。
海外の事を知るためには、必ず海外に行かなければいけない時代。
またその海外で学んだフォトシューティングメイクは当時の日本のメイクアップには普及しておらず、美容師さん達はかなり食い付いてくれました。
色んなサロンさんに営業をかけながら、サロン営業終了後に21時とか22時くらいからスタートしてました。
そんな活動も無駄ではなかったようで、Be-STAFFでメイクを学びたいと言ってくれる美容師さん達も増え出した頃です。
ある日、美容メーカーのアリミノ様から依頼を受けたのです。
「啓さん、今度東京で凄い活躍されてるPEEK-A-BOOというサロンの川島文夫先生にヘアショーの依頼をしてるんだけど、啓さんメイクに入ってくれない?」
当時ビースタッフに通っていた美容師の生徒さんに川島文夫先生って知ってる??って来てみたら
「ロンドンのビダルサッスーンでアーティスティックディレクターまでやられた凄い先生だよ」って
「これはまた凄い人のバックステージに入れる」
「コツコツは勝つコツ」
まさしくこの感じでした!!
喜田修二先生もロサンゼルスのビダルサッスーンのアーティスティックディレクター。
そして今回は本場ロンドンのビダルサッスーンのアーティスティックディレクター川島文夫先生。
ラッキーですよね😭
美容師さんは何十万人もいるけどメイクアップアーティストは本業でやってる人は少ない時代。
少ないし、美容業界に売り込んでるのはある意味ブランディング。
メイクを本格的にやってる、日本からブスを無くしたい!だから美容業界の人に教える。
そうすれば裾野にいるお客様にメイクの価値観を伝えられる!
ずっとそう信じて来た、師匠でもあり母の山口博美とビースタッフの私の想いが少しづつ知られて来たの
だと感じました。
1990年、時はスーパーモデルや流行通信などで海外のヘアメイクは日本にどんどん情報が上陸しだした頃でした。
本番当日も福岡のIMSビル。天神のど真ん中にある当時出来たばかりのファッションビルのイベントホールでした。
川島先生は小柄な方でしたが、凄いオーラを放ってありました。
自分から名刺持ってアリミノの原さんの紹介でご挨拶させていただきましたが、川島先生はあまり目をあわされず、「メイクよろしくね」って感じで。
その後リハーサルで照明と音楽とモデルウォーキング。
モデルはほぼビースタッフの生徒で12人連れて行きました。
はい、全員採用です。(その後川島先生は福岡はモデルが可愛いと絶賛してくれてました😊)
さあ仕込み開始。リハーサル後から本番までは約2時間。その間メイクの仕込みと、川島先生はヘアーの仕込みまで丁寧にされます。
時間との戦い。 僕のアシスタントは当時まだ入社仕立ての合志知子。(後にビースタッフ東京校のディレクターまでなります。)
とにかく戦場のように忙しい、裏方。ただしメイクのスピードには自信があります。
次から次に川島先生から要求されたキャッツアイみたいなメイクに、鮮やかな赤いリップにシャープなアイブロウ。
(こちらのこの後32年間、基本的にこのメイクデザインは要求されます)
ショーは無事終了し、川島先生も満足げな感じでした。
川島先生から一言、
「来月さ、東京の青山で新美容の別冊付録を作るんだけど、メイクしてくれない??」って😭😍
はい、すぐさま「やります、出来ます、得意です」
モデルも5人連れて来てくれる?ってお気に入りのモデルも指名してくれて、行くことになりました。
当時、しんびようの編集長 五十嵐郁雄さん。凄い紳士で後に私が東京進出した際も本当に可愛がってくれました。
仕込みはPEEK-A-BOOの川島先生の店。テラスがあっておしゃれな空間。
そこで5人のモデルにボンテージファッションに合う、かなりぶっ飛んだメイクをしました!
川島先生より先に編集長がいいねー!!とんがってて、川島先生のヘア似合うねー!って言ってもらえました。
最初はカラーで撮影。当時はデジタル時代ではないから、ポラでしか仕上がりのイメージは掴めません。
その後、この作品をモノクロでも撮ろうかってなりました。
その時、川島先生から私にアドバイス。「啓ちゃん、モノクロの時は、黒のアイシャドーでも飛んじゃうから、もっとガッツリやって!!!」
正直、かなりやり込んでると思ってましたが、確かに先生の言った通り、ポラで確認したらモノクロだと、黒のアイシャドーが、薄いグレーに見えました。(さすがモノクロ時代をやって来た先生)
すぐさま、ブラウンを重ねて、もう一度黒のアイシャドーを重ねて純黒ができるテクニックを使いました。(これもロサンゼルスで学んだこと)
ポラでもう一度確認。
川島先生から一言. . . 「最高」って
撮影も無事に終わり、川島先生が表参道の裏のラスチカスに食事を連れて行ってもらったのを記憶しています。
凄い刺激でした。
頭がぶっ飛んだ!!!
次の日、表参道の歩道橋の上から賑わいのある通りを見ながら心に誓いました。
「絶対に東京で仕事する!!ここにBE-STAFFを造る」
これが私の人生をまた大きく変える素晴らしい出会いになったのです!!!
大きく心がうねりだした、22歳の秋でした。